make bread

猫がこねる わたしゃ文字打つ

茶の間に猫がいることについて

 病気の猫を飼っていた。闘病中のある日、会社から帰ったら死んでいた。まだあたたかくやわらかかった。

 友だちのように暮らした相手だった。死に顔は穏やかでいとおしかった。お寺に連れていくまでの2日をおなじ部屋で過ごしたが、時間が経つにつれて死体はよそよそしくなっていった。瞳はくらくなり、体は固まっていった。

 

 うちにはもう一匹猫がいる。食べる寝るを繰り返しているだけのぐうたらな奴だ。

 猫はかわいいだけが仕事だ、という人がいるが、それがすべてじゃない。

 夕飯を作っているときに、茶の間にいる猫を振り返ってやる。猫はたいてい「遊びの誘いですか」という目でこちらを見返してくる。猫の視線を感じて振り返る時もある。料理中なので遊びはしない。冷蔵庫に調味料を取りに行ったり、茹でたほうれん草を絞ったりの作業にもどる。猫が何をしているか確認しただけだから。

 

 猫が生きていてもいなくても、私の一日の行動は変わらない。朝起きて会社に行って、帰って簡単な料理をして、トイレで漫画やネットを見てから寝る。ただ、私を見てくる目が減るだけのことだ。

 猫は茶の間にいて私と目を合わせるだけでいい。何なら寝たきりでも目が見えなくてもいい。呼吸のたびにお腹がふくらんでいればそれでいい。死んだ猫は呼吸が止まったかたちを留めたまま動かない。猫は生きた状態で茶の間にいてほしい。