男の人の書いたものが読めない
男性の小説家が苦手だった。
村上龍の、『共生虫』だったかな、小説の最初の方で主人公の男が一人暮らしでひきこもりの中年で、たまに家に妹が来て冷蔵庫に食べ物を入れてくれる。その妹はすごく地味で野暮ったくて、たぶん処女だろうと兄は冷たく観察している。地味で処女で野暮ったい高校生だった私は、自分がその妹になって品定めされているような気分になった。胸が冷たーくなった。
町田康のことはすごく怖かった。元パンク歌手だというし、女の人をこわがらせて、男の世界だけで笑っているような人じゃないかと思っていた。小説を読むのは怖いのでまずはエッセイを読んだ。そうしたら夫婦で暮らしていて猫がすごく好きな人だということが分かった。人となりが分かればもう怖くない。『告白』や『浄土』は私の大切な本になった。
保坂和志なら読めるかなあと思って『季節の記憶』を読んでみた。これはあんまりよくなかった。近所のさばさばした若い女の子がちょっと気弱な面をみせただけで主人公の男はその女の子に幻滅しているところで、いやになってしまった。「女の人に幻想もってんじゃないの」と鼻を鳴らした。
でも死んだ作家は平気。
夏目漱石が女性を馬鹿にしていたと聞いても「まあ、そうだろうな」と思った。漱石のエッセイや小説を読むと、板尾創路が出てくるような間の多い長いコントみたいで、細い薄い笑いが底にある感じがする。女の人が、ちゃんとそこに生きている感じがする。
漫画は中学生くらいからジャンプを読んでいた。『ヒカルの碁』『ワンピース』『ナルト』。ラブコメはアイズがやっていたのかな。大学生くらいから、だんだん読まなくなっていったかも。
だれにも言ったことはないけどナミの胸を見るとなんだか不愉快に感じた。「主人公の仲間なのに(作者は)そんな格好させるんだね」と思っていた。
単行本で買うのは今でも少女漫画が多い。同居人が青年誌系を買ってくれるのでそれも読む。
仕事帰りや休日に買うのはいつも少女漫画か、男性誌で描く女性作家。女性作家が青年誌にいるとほっとする。
女性作家の描く、睫毛のタッチが好きだ。