make bread

猫がこねる わたしゃ文字打つ

アラサー女がニートになって、初めてファーストガンダムを観てみた

敷居の高さからずっと観るのを避けてきたガンダムを初めて観てみた。まとめて観るのはそんなに苦ではないのだけど、そもそもガンダム自体をそんなにかっこ良く思えない&戦闘シーンにぐっとこないので、そそられる要素よりもめんどくささの方が勝っていた。

 

ちなみに一緒に住んでる彼氏はガンダム大好き。漫画やテレビ番組、本は共有して楽しむことが多いけどガンダムはこうした理由から避けていた。アメトーークの「ガンダム芸人」とかはいっしょに楽しく観ていた。

そんな私がこのたび仕事を辞めニートになるという出来事があり、暇なんでいっちょ観てやるかと思った次第であります。

 

前置きが長くなったけど、観てみたらけっこうガンダムって楽しかった。

ファーストガンダムの感想をつらつら書いてみる。ちなみに観たのはテレビシリーズ版のみ。

 

・ずっと戦艦に乗っているので、学園ものを観てるみたいだった。グランドホテル形式は好きなのでこれだけでぐっときた。

・声優の演技のうまさにびっくりした。爪を噛むアムロフラウ・ボウの「そのクセやめなさい」とか。

・っていうか、ずーっと戦争してる!←まずこれにびっくりした。

ガンダム以外にも味方のロボットあるんだね。

・フラウボウの両親第一話で死亡。

アムロの「もう怖いのいやなんだ」でちょっと泣いた。

・なんだこのカイって皮肉屋→セイラさんとカイの関係性いいなあ。

アムロ「民間人の僕がいやいやガンダムに乗っているのに、僕をいらないってみんなが言うならもうホワイトベースを降りてやる!」→ガンダムに乗って逃走→エーッ!!

アムロよりもずっと負け続けてるシャアの方がなぜかかっこいい

・戦いに巻き込まれた民間人だったアムロが軍人になっていく様。アムロどんどんガンダムの操縦が上手くなる→人を殺すことに悩んでいたのが割り切りが出てくる→両親とのつらすぎる別離→もうぼくにはガンダムしかないかもって流れ。それはもう戦いに死に場所求めるフラグじゃん…。

・えっララアってパイロットだったの?

・カムランとミライの痴話げんかを横顔で聞くブライト

・そういうのよくわかっていないアムロ

・ブライト「君の気持ちはわかってる」ブライトさんミライさんの気持ちわかりすぎ

・最後の出撃前「僕の大好きなフラウボウ。こんなことで死ぬんじゃないよ、つまらないからね」と明るく言う。直後フラウに駆け寄るハヤトを見るアムロ。フラウとアムロの淡い恋って戦争が打ち消したんだな。

・シャアのララアに対してジェントルマンを装う「女にやさしい俺いけてる感」にざわざわする

・ララア「救ってくれた大佐のために戦うの」→戦艦数隻落とす

・ララア「あなたには何もないのになぜ戦うの」アムロ「ぎっくー」

・ララア突如海を割る

アムロ「これも運命」ララア「そうかもしれない」(殺したあとに会話してる謎)

・ララアの赤いポッチの場所が毎回違ったな

・シャア「よくもララアを殺したな!」え、でも利用したのはシャア本人…

・「なぜララアを戦場に出した!あの人は戦闘をする人じゃない!」アムロそれ一番シャアが言われたくない言葉じゃよ

・シャアがキシリアを殺したと思ったらいつの間にか停戦。アムロホワイトベースに帰ってきたんだ!」あれ、一年戦争終わり?

・みんな十代で戦場にいるけど、倫理的にどうなんだろう。

 

あー面白かった。

宇宙戦争ものに慣れていないので、コロニー制や戦争の状況、戦艦や要塞などの用語がよくわからず何度か巻き戻して観ていた。ガンダム独特の名前のセンスに戸惑うことも多かった。「ア・バオア・クー」とか。

いやーでも面白かったです。

ニュータイプって結局何なのかとかララアとアムロの交信とか説明されないことも多かったけど、こむずかしいことはさておき面白かったです。観た後はいろいろ話したくなりますね。アムロガンダムに乗りたくなくて拗ねるところ、エヴァシリーズでシンジが拗ねるのに重なって「主人公がごねるのってここからか」と腑に落ちました。

『君に届け』22巻までの感想② 千鶴のおにぎり

『アオハライド』が来月発売の別マで最終回ってことに驚いている。前回で主人公の二人が晴れて両思いになって、今後はベタに新たな敵が現れたり障害が起こったり、という長期連載になっていくとばかり思っていた。今月の引きでは馬淵くんが何やら一人で考えてることがあるみたいで。これは遠距離恋愛に突入かなあ。医者になるとかいうのかなー。関係ないけど咲坂先生の描く涙袋のある男の子ってかっこいい。

 

君届は相変わらずすごい。すごいのは、主人公以外の登場人物のサイドストーリーが主人公並みに分厚いってこと。ちゃんと爽子&風早のメインもやりながらで、でも「いろんな人のモノローグが多すぎてわからない」ってこともなく、展開がわかりやすい。

 

千鶴と龍の過去話(15巻)では、二人の好物のおにぎりが重要なキーポイントになっている。小学生で母親を亡くした龍に、誰にも言わずにへたくそなおにぎりを届け続ける千鶴。もともと感情が伝わりづらい龍が、母親の死別から泣かず笑わないことに千鶴は気づいている。

千鶴がおにぎりを届けに行ったある夜、龍が玄関を開ける。「これ…龍にっ…」のあとには嗚咽しか続かない。龍も初めて涙を流す、母親の死を受け入れたシーン。

千鶴は海辺で龍に約束するのだ。

ちづね、あんたのきょうだいになるから なるからね、ぜったい

永遠に失ってしまった龍の家族の穴を埋めようとしている千鶴の思いと、千鶴をずっと好きでいる龍の思いのすれちがい。もうこれ、サイドストーリーじゃないでしょ…。

高校の修学旅行で龍からの告白を受けて千鶴はとまどう。ここから龍の猛プッシュが始まる。肩を掴んで「終わらせろ!」発言とか、クリスマスにピンクのバラを渡して「千鶴みたいじゃない?」とか、龍、マジで男前だ。龍に急速に惹かれていく千鶴。でも家族から恋愛関係になってしまうことのもろさにも気づいている。徹に打ち明ける(19巻)会話がこれ。

千鶴:あたしさ、ずっと龍とそばにいると思ってたんだよ …ずっとさ お互いに彼氏とか彼女ができても 結婚しても 子どもができても ずっと…

徹:つきあわずにずっとそばにいるのを成立させるのは 難しいよ

千鶴:つきあって…別れずにずっといるのは?

徹:それも難しいよ でも別れなければ死ぬまで一緒だよ

この「死ぬまで一緒だよ」と言う徹は、亡くなった母親の顔によく似てるんだよ。。

22巻で、龍と千鶴はお互いを好きでいることを確認する。千鶴は初めて龍のいない寂しさから野球を頑張る龍を素直に応援できなくなっている。幸せなシーンのはずなのに、龍にキスされながら「あたしのすきは 竜の足をひっぱる」というモノローグには胸がつまった。好きでいることも不安なのに、なし崩し感でくっついちゃう感じがたまらなかった。

龍は卒業後は札幌の大学へ、千鶴は地元に残ることを決めているけど、二人の関係は今後どうなるのかな。

 

読み返していると猛烈におにぎりがたべたくなった。漫画にも出てくる「たまごマヨ+かつおぶし」で作ってみる。学校にもっていく=冷めても食べれるようにと仮定して、たまごは半熟じゃなくてしっかり固ゆでで、しょうゆも入れてみた。

おにぎりとたまごマヨ、めっちゃ合う!おかかが利いてて海苔にも合って、これはハマりそう。あと具をしっかり入れたいから、漫画みたいにおにぎりは巨大になるね。

これって龍と徹の母親の味なのかな。4分の1スペースで作者も「おにぎりってすばらしい」って言っている。同感。

 

『君に届け』22巻までの感想① 風早くんはオナニーしている

君に届け』を読んだ同居人が、「風早くんはオナニーしてるね」と断言したとき、この漫画がなんで面白いのかが分かった気がした。

 

当然、風早くんのオナニーシーンがあるわけじゃない。

この本を読むと、風早くんはさぞや悶々とした苦しい夜を過ごしているだろうな、といらん心配をしてしまう。

 

君に届け』は、暗くて地味でさえない爽子が人気者でさわやかイケメンの風早くんから告白されるという王道な少女漫画だ。爽子は自分の恋心にすらなかなか気づかず、風早くんの気持ちにはさらに鈍感だ。読者には風早くんが早い段階から爽子に気があることがわかるように描かれる。風早くんかわいいなあ、爽子早く気づいてやれよ、と同情し、応援したくなる。これって実は新しいんじゃないか。

 

物語の序盤は、爽子がクラスメイトからの「誤解」を解く物語になっている。クラスメイトからの誤解がとけ友人関係を築いた後、こんどは爽子が風早くんを「誤解」する。風早くんの好意を受けて、かわいそうな子だから気を使っているだけだという「陰気特典」だとまちがった認識をしてしまう。自分の恋心を自覚し卑下する弱い心を乗り越え、風早くんを信じようとしたとき、二人は結ばれる(いい話だ)。

 

さらに試練は続く。つきあって半年経って、風早くんには「俺はわがままで独占欲が強くて、爽子が思うような好青年じゃない…ぶっちゃけ、もっと束縛したいんだよね」という負い目がある。う~ん、つきあってるからこその悩みだ。ていうかどんだけ爽子が好きなのこの人。さらに読むと、「俺は爽子が思ってる以上に、もっとチューとかギュッとかしたい。でも爽パパとちゃんとつきあうって約束しちゃったし。だから距離とらなくちゃ」と、欲望と理性の間でも闘っている。この男の子サイドの苦悩が、オナニー説に至ったのである。少女漫画でちゃんと男の子の心理が描けてる漫画って実は少ないと思う。

爽子に「私だって嫉妬する。けっこう独占欲つよいんだよ」と言われてホホを染める翔太。よかったね。最近はじわじわといい感じに、かつ健全にエロくなってきて、いいぞ、もっとやれ。

 


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茶の間に猫がいることについて

 病気の猫を飼っていた。闘病中のある日、会社から帰ったら死んでいた。まだあたたかくやわらかかった。

 友だちのように暮らした相手だった。死に顔は穏やかでいとおしかった。お寺に連れていくまでの2日をおなじ部屋で過ごしたが、時間が経つにつれて死体はよそよそしくなっていった。瞳はくらくなり、体は固まっていった。

 

 うちにはもう一匹猫がいる。食べる寝るを繰り返しているだけのぐうたらな奴だ。

 猫はかわいいだけが仕事だ、という人がいるが、それがすべてじゃない。

 夕飯を作っているときに、茶の間にいる猫を振り返ってやる。猫はたいてい「遊びの誘いですか」という目でこちらを見返してくる。猫の視線を感じて振り返る時もある。料理中なので遊びはしない。冷蔵庫に調味料を取りに行ったり、茹でたほうれん草を絞ったりの作業にもどる。猫が何をしているか確認しただけだから。

 

 猫が生きていてもいなくても、私の一日の行動は変わらない。朝起きて会社に行って、帰って簡単な料理をして、トイレで漫画やネットを見てから寝る。ただ、私を見てくる目が減るだけのことだ。

 猫は茶の間にいて私と目を合わせるだけでいい。何なら寝たきりでも目が見えなくてもいい。呼吸のたびにお腹がふくらんでいればそれでいい。死んだ猫は呼吸が止まったかたちを留めたまま動かない。猫は生きた状態で茶の間にいてほしい。

ビッグスリーも死ぬんだ、とふと思う

 

たまにのぞくブログで、人の生き死にについて語られてた。

そのブログって清水ミチコなんだけど。

すごく大事な人がいなくなってしまってびっくりして途方に暮れて、その一方で死んだ人をあっさり忘れて笑って生活するけど、そういう機会はこれからもあるだろうと、平熱な調子で言っていた。

 

私はタモリとさんまとたけしが死んだニュースを見るのか〜と思うときがあって、そのつど嫌だなと思う。さんまと母親が同じ世代というのもあるのかもしれない。勤務先の上司や先輩も(何もなければ)先に死んでしまうだろうから、葬式に出ることになるなあとか。

 

昨夜、会社帰りに寄ったデニーズでブログを読んで、これからの人生で見送る人やどうぶつのことを思って、(ここでご飯食べてる人もみんな死んでしまうんだなー)と周りを見渡した。前のテーブル席に、阿佐ヶ谷姉妹によく似た二人連れが見えた。何話してんの?

 

 

清水ミチコの『主婦と演芸』は理由はわからないが読むと元気になる。私も気さくでガサツでいいか、という気になる。いいわけないっての。


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男の人の書いたものが読めない

 

男性の小説家が苦手だった。

村上龍の、『共生虫』だったかな、小説の最初の方で主人公の男が一人暮らしでひきこもりの中年で、たまに家に妹が来て冷蔵庫に食べ物を入れてくれる。その妹はすごく地味で野暮ったくて、たぶん処女だろうと兄は冷たく観察している。地味で処女で野暮ったい高校生だった私は、自分がその妹になって品定めされているような気分になった。胸が冷たーくなった。

 

町田康のことはすごく怖かった。元パンク歌手だというし、女の人をこわがらせて、男の世界だけで笑っているような人じゃないかと思っていた。小説を読むのは怖いのでまずはエッセイを読んだ。そうしたら夫婦で暮らしていて猫がすごく好きな人だということが分かった。人となりが分かればもう怖くない。『告白』や『浄土』は私の大切な本になった。

 

保坂和志なら読めるかなあと思って『季節の記憶』を読んでみた。これはあんまりよくなかった。近所のさばさばした若い女の子がちょっと気弱な面をみせただけで主人公の男はその女の子に幻滅しているところで、いやになってしまった。「女の人に幻想もってんじゃないの」と鼻を鳴らした。

 

でも死んだ作家は平気。

夏目漱石が女性を馬鹿にしていたと聞いても「まあ、そうだろうな」と思った。漱石のエッセイや小説を読むと、板尾創路が出てくるような間の多い長いコントみたいで、細い薄い笑いが底にある感じがする。女の人が、ちゃんとそこに生きている感じがする。

 

漫画は中学生くらいからジャンプを読んでいた。『ヒカルの碁』『ワンピース』『ナルト』。ラブコメはアイズがやっていたのかな。大学生くらいから、だんだん読まなくなっていったかも。

だれにも言ったことはないけどナミの胸を見るとなんだか不愉快に感じた。「主人公の仲間なのに(作者は)そんな格好させるんだね」と思っていた。

 

単行本で買うのは今でも少女漫画が多い。同居人が青年誌系を買ってくれるのでそれも読む。

仕事帰りや休日に買うのはいつも少女漫画か、男性誌で描く女性作家。女性作家が青年誌にいるとほっとする。

女性作家の描く、睫毛のタッチが好きだ。

 

逢沢りくにかけられた呪い。

『逢沢りく(上・下)』(文藝春秋)を読んでちょっと打ちひしがれた。

りくは中学生。

おしゃれなパパと、カンペキなママ、

「オーラがある」と友だちが憧れる、ちょっと特別な存在。

美しい彼女は、蛇口をちょっとひねるように、

嘘の涙をこぼすことができたー

 

「美人でちょっと特別な存在」のりくが関西に一人で親戚の家に預けられることになる。嘘の涙を流すことができるりくは、本当の悲しみを知らない。

 

ほしよりこは「おしゃれなるもの」「権威なるもの」を徹底的にこきおろす。猫がプチセレブ家庭の家政婦になったり、関西弁の家庭に抵抗する潔癖な少女を置いてみたり、設定だけでもう面白いけど、皮肉だけじゃなく人情を描くからバランスがとれる。中身はやっぱり期待以上だった。

 

私は傷ついていないと言うとき、人は傷ついている。
傷ついていると誰かが気づいていることにも傷つく。

 

女性が描いたものはすべて抑圧された側としての描き手の思いが含まれていると思う。描いている方と読んでいる方が同じ土俵だから、わざわざ展開図を広げるようにくどくど説明するのはなんだか野暮だ。

でも言いたい。これは母の呪いをかけられた女のカルマの話だ。りくの後ろには、呪いをかけ続けている母親がいる。母親が、浮気をしている夫と話すとき、「あの子(りく)を傷付けないで」という。暗に(わたしはいいけど)という言葉を選ぶことで「娘を盾に夫を責める卑怯さ」に母親は無自覚でいる。「私は傷付いてなどいない」。傷付いているのは、ママだ。ママは関西弁の芸人が出ているテレビや、人の手作りのものは食べない。りくは母親とそっくりに育っていく。

 

本当に悲しいときに人は泣くのか、
ここは泣くところだ、と思うから人は泣くのか。

 

りくは「ここで泣いてね」とステージを用意されれば涙を流すことは出来るが、ママとけんかをしても泣かない。自分は悲しみを知らないとまで言う。読者からすれば、りくは傷付いて十分悲しみを知っている。ママが用意するステージをこなしすぎて、泣くことと嘘をつくことがイコールになっているのだ。泣けないのは当たり前だ。

 

ママはりくが小鳥を殺そうとしたことでりくの限界を悟った。あの小鳥はりく自身なのだろう。

海外留学させることもできただろうが、関西の親戚に預けることを選んだのはママだ。ひとり、空の鳥かごを見つめるママの後ろ姿が大きなコマで描かれる。

作り物のようだったりくの家族の会話と対照的に、関西弁は生々しい生き物のようだ。りくはママの呪いにしがみつくが自分の感情を無視することはできない。ママの欲しがる「ここで泣いてね」のステージも用意されない。りくは家庭の温かさに触れて、呪いを解いていく。

 

ラストシーンののち、りくは家に帰るだろうか。

呪いから解き放たれた娘は母親から遠ざかろうとするだろう。

小さな親戚の男の子、時ちゃんが言う。

 

「お姉ちゃん、あんな司お兄ちゃんとおじいちゃんはまちがえたの 大人でもまちがえることあるの」

「だめなのよ...大人は絶対にまちがっちゃ...絶対に...」

「ゆるしてあげるの」

「だめなんだから簡単にゆるしちゃ...」

 

りくは15歳。まだ子どもだ。

大人を許すのはもう少し先でもいい。